人を・感じる・力




人を・感じる・力



 話相手の顔すらろくに見ないでしゃべる人がいる。相手のリアクションを見ずにしゃべり続けるというのは、どうにも不可解。人を感じ取る意思が欠落しているように見える。

 コミュニケーションにおいては対話する相手を認識することが不可欠。相手がどういう人で、こっちの話をどう感じているか。感知せず、ただしゃべりまくるだけという独り善がりでは、相手の心に言葉が届きません。

 話す前段階として、この話題を話す相手としてふさわしいかどうか、相手を想定した上で話す。これをたいていの人は無意識にやっている。相手のリアクションを見て、ストライクゾーンから外れてることに気づいたら修正する。当たり前すぎることです。気づかず、話し続ける人もいるけど。


 僕がやっているコミュニティカフェ活動は、発信であり、コミュニケーションでもある。人のニーズを想定して企画を立てる。

 省エネカフェはうまくいかなかった。省エネについてコミカフェで談義するということに、世間的なニーズがなかった。省エネを重要事項と考える人は少なからずいる。だけどほとんどの人にとって最重要ではない。関心はあっても切実なものにはなりえない。コミュニティカフェという形じたいが人を招き寄せるわけではない。その中身、テーマ性によって人は引き寄せられる。

 活動や発信がうまく機能しなかったときは、立ち止まって原因をよく考える。うまくいかない原因が見えたとき、軌道修正し、関心を引く内容にシフトするか、おひらきにするか、よく考える。想定せず、リアクションを読まず、方向性を再検討することもせず、猪突猛進で突き進むだけでは、何をやってもうまくいかない。

 自分の思いだけで突っ走って成功する人は稀です。人を感じとる力がなければ、活動や発信の成功は厳しいと考えたほうがいい。イヴェントや企画、活動体は「ユーザー視点(目線)」が不可欠です。


 人の気持ちを読める人と読めない人がいる。「精神医学的には、人の心を読めるかどうかというのには、実はかなり生まれつきの問題もあります。」と、精神科医の大和まやは断定してますけど、違うと思う。遺伝子の影響は環境因子にくらべると微々たるものではないか。

 たいがいの子供は「自分は世界のオンリーワン」の気分でいますから、人の気持ちを察することができません。できるようになるのは、周りの環境がそれを要求してくるようになってから。

 場を読み、空気を読まなければ生きていけない環境が圧力をかけてくる。読むことが習慣化することで読めるようになってくる。逆に言えば、そういう環境のない世界にいる人は「読めない人間」になる。習慣が個人の行動や思考を作る土台になっているのです。

 ただ、それだけがすべてとも思えない。環境とは無関係に「読めない人」が一定の割合で存在している。社会と接点を持っている人間には、「空気読めよ」圧力が等しくかかっている、というのが思い込みなのか、そんな圧力さえ無視できてしまう人がいる。それが遺伝子由来なのかどうかは、なんとも。


 自分のついた嘘がバレないと信じてる人は、人を読めない人です。自分が読めないと他人も同じと思うから、見抜かれてることがわからない。「それって魔法?」の世界です。

 子供の頃のことだが、小説の主人公が、些細な言動から相手の心理をいともたやすく読み取っていた。「こんなの嘘だろ」と思ったものだ。二十代の頃までは。

 今はどうかというと、まあ人並みには見えてるかな、ぐらい。会社勤めはあまり役に立たなかったけど、多くの団体で活動するようになったのが大きい。考え方や行動様式が極端に異なる人たちに取り囲まれると、考えざるをえなかった。

 一概に言えないけど、女性より男性のほうが「読めない人」の比率は高い。タテマエばかり男女平等で、現実は男性が権力を持っている領域が大きい。生きていくために読まなきゃならないのは、もっぱら女性のほうだから。

 人を感じる力はあったほうが人生うまくいく。そう断定していいのかどうかはわかりません。感じない人の中には、自分の人生がうまく回ってないことすら感知できない人もいます。


ひょっこり通信 2018.10.21





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