年とれば釣瓶落とし




年とれば



 藤子・F・不二雄の漫画で『光陰』というのがあった。やたら時間の過ぎるのが速くなったと嘆く老人の話。旧友を訪ねて話に夢中になってるともう外は真っ暗。月を見上げ、じっくり見ると、ゆっくりと動いているのがわかる。時に加速度がつき、終末へ向かう不気味なエンド。

 年とともに時の過ぎゆくのが速くなっている。そんなふうに感じる人は多いでしょう。気がついたら一日終わってる。一か月たっていた。もう年の暮れ。一年があっという間。年ばかりとって進歩も成長も改善もない。やばい。焦る。今までの人生、たいしたことやってない。残り時間は乏しい。

 時の過ぎゆくスピードが増している感覚はどこから来るんでしょうか。実感として感じるのか、ただの錯覚なのか。焦りがそう感じさせるのでしょうか。

 錯覚なのか現実感覚なのかはさておき、なぜそう感じられるのかを考えてみた。今まで生きてきた時間数が長くなるにつれ、相対的に現実時間が短くなるので短いように感じられるという考え方がある。思い違いでしょう。いくら長く生きていても、体感できる経過時間に変化はないはず。

 生物学では、個体が感じる時間の長さは代謝率によって異なるとされている。大人になれば代謝率が低下し、時間が短く感じられる。しかしそれによる時間経過の変化を感じる程度はごくわずか。

 もう一つ仮説。知覚感覚が鈍り、現実の経過時間にくらべて当人の反応が落ちているという考え方。頭の回転の鈍りは自覚できないので、なんとなくまわりのスピードが増してるように感じ取る、ということ。現実の時間経過はけっして速くなってはいないのです。知覚の錯誤と気持ちの焦りが相乗効果を生んでるのでしょうか。

 周囲の動きが速くなっていると実感してるわけではないのです。経過したあとで「もうこんな時刻!」と驚く。鈍ってるんですよ。体も頭も。

 負けてはならじとしゃかりきになっても、やはり時間のほうが先へ行ってしまう。時間を追いかけてもしょうがない。のんびかりかまえてたら、時間のほうがあとからのろのろ追いかけてくるのかもね。のんびりいこうかぁ。

ひょっこり通信 2014.2.16




藤子・F・不二雄のSF短編一覧 - Wikipedia
 週刊少女コミックに載った『赤毛のアン子』もちゃんと挙がっている。

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