ゴッホって、誰?想像してみてほしい。ゴッホという有名画家が、たまたま有名にならなかったという世界を。 優れた作品を残したんだから、それはありえないと思うでしょうか。生きていた当時はほとんど評価されていなかったんですよ。今の高い評価は「たまたま」だとは思えませんか。有名にならなかった可能性はかなりありうると、僕は思う。 有名になり、高く評価されるかどうかは運不運がつきまとう。いいものが必ず高く評価される、というわけではけっしてない。それは今までいろんなものを観たり聴いたりして、実感している。 現在では神の如くに崇め奉られているアーティストやミュージシャンは、登場するタイミングや場がちょっとずれただけで「神」ではなくなる。「神」となることは、偶然の上に成立している。 ゴッホが有名でなかった世界にあなたが暮らしてたとしましょう。ゴッホの『ひまわり』でも『タンギー爺さん』でもなんでもいいんだけど、先入観なしに見て、それを名画と断定できますか? 無理だと思う。名作と断定できる人はよほど偏屈な人だ。よく言えば、主体性がきわめて強固な人。そんな人は少ない。 人の評価の中には必ずと言っていいほど先入観が滑り込む。自分の価値判断だと思っているものの中に、必ず他人の評価が混じり込んでいる。僕自身にもそれはある。純粋に自分の価値判断だけでものを評価するのは難しい。 先入観というより世間の価値観。それを一旦ゼロにし、白紙の状態で鑑賞してみませんか。 ちょっとした頭の切り替えだと思う。評価の主体性を取り戻すことです。しかしそれは、言葉でいうほど簡単なことではない。 ひょっこり通信 2023.2.23 |
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